深圳彫刻ビエンナーレ2014編②
①の続きです。
会場の真ん中にカーペットが敷かれ、テーブル、クッション、書棚、テレビが配置されている。《リサーチ・ステーション》と称するこのスペースで会期中にシンポジウムやトーク、各種イベントが実施される。ここは単なる多目的スペースではない。展示棚には多数のアートプロジェクトのドキュメントやリサーチ資料が配架され、来場者が作品を鑑賞するだけではなく現在進行形のプロジェクトにアクセスできるようになっている。作品やプロジェクトへの多様な参加回路を集約した作品とも言える。
ステーション内ではTellervo Kalleinen & Oliver Kochta-Kallleinen《不平の合唱団》の記録展示と同時に「深圳・不平の合唱団」の紹介と「あなたに不平不満はありませんか?」と呼びかけが行われている。《不平の合唱団》は世界各地で実施されているプロジェクトで東京でも一度実施されている。今回の展覧会を通して深圳にも《不平の合唱団》が組織される予定。中国では深圳が初プロジェクトとのこと。
《不平の合唱団》HP
ちなみに日本では東京・森美術館で実施されています。
黃博志《製造ライン》
第二会場に入ってすぐの作品、簡易な木組みの四角ボックスが会場内に整然と配置されています。部屋に入ってすぐの手前のボックスにはデニムシャツが3着ほどかかっている。台湾人アーティスト黃博志氏の《製造ライン》です。この作品で驚きなのはボックス群の手前で実際に縫製作業を行う人に遭遇すること。
彼女はスタッフでもアーティストでもなく、工場の縫製ライン現場の労働者だ。彼女は縫製過程の全工程をひとりでこなす多能工であり、今回の展覧会にアーティストから縫製作業員として雇用されている。会場での労働は工場と同内容で始業時間とともに始まり、昼食をとり終業時間が来たら帰宅する。まさに作品名称のとおり縫製工場の製造ラインを会場に持ち込んだわけだ。深圳には少し以前まで縫製工場が多数存在した。多くは90年代に日本、台湾あるいは香港から移転してきた。しかし、近年は現地の人件費高騰により工場の多くは新興アジア諸国へと移転していった。話だけ聞くとグローバルな資本移動の中で翻弄される街「深圳」だが、実際に高い技術を身に付け作業に勤しむ彼女を姿を見ていると人々の逞しさを感じざるを得ない。完成したシャツの美しさは深圳に根付いた高い縫製技術の証でもある。会期中、彼女はデニムシャツを縫製しつづけ木枠にシャツをかけていく。深圳の過去と現在を進行形で見て取ることができる。
宋拓《公務員》
役所内の公務員全員を4年間かけてデッサンし、部署毎に分類して彼らの容貌を壁面に展示した。
日本も同様だがなぜか役所に勤務する人はどこか似たような風貌をしている。宋は長い年月をかけて公務員の姿を描きとり、脇に展示された樹木を模した組織図にはご丁寧にも役所の部局名や直通番号も並記して紹介してくれている。
また役所では公務員の職位によって乗車できる車両が異なっている。それも丁寧に車両グレードの違いと車両ナンバーも含めてデッサンで紹介している。見た目はほのぼのとした作品だが、その奥には現行の社会システムに対する明確な批評が潜んでいる。
姚瑞中+失落社會檔案室
《海市蜃樓:台灣閒置公共設施攝影計畫》
台湾人アーティスト姚瑞中による廃墟リサーチプロジェクトのドキュメント展示である。彼は学生と共に現在、台湾で遊休施設となった行政建築物を学生と共にリサーチし、その内容について書籍にまとめ出版した。一見すると日本でもよくある「廃墟マニア?」と見受けられるが、廃墟マニアとは大きな違いがひとつある。それは各施設を美しく撮影し記録する一方で、写真の紹介キャプション部分に施設名称と建設費用(税金)を並記されていることだ。要は政府の事業計画の甘さあるいは事業に対する無責任、もしくは税金の無駄遣いを糾弾する意味があるわけだが、それだけでないのが面白い。プロジェクトでは写真集の書籍化した際に、写真集を行政関係者や議員に送付したそうだ。最終的には、この遊休施設問題は議会でとりあげられ、審議の結果、数年以内に再利用計画を立案することが義務づけられたという。廃墟趣味のように対象の崇高さに耽溺するだけではなく、具体的な施設の再利用計画策定を目標を定めた社会運動ともなっている。しかし、展示された写真群には何かを糾弾するような猛々しさはない。愚策によって成立してしまった施設が新しい社会的役割を渇望しているかのようにも見える。今回は具体的な政治力によって終結したけれども、静謐なホワイトキューブでの展示は写真表現を通して各施設の社会的ポテンシャルを表しているようにも見えた。
詳細の写真作品はこちらで見られます。
http://www.yaojuichung.com/htdocs/?page=lsd&artworks_id=76
他にも台湾の鬼才映像作家・陳界仁の新作や北京や香港の若手アーティスト作品等、他のビエンナーレやトリエンナーレでは見られないシャープな作品も多数ありました。展示自体はオーソドックスであったけれども、記事の冒頭にも書いたように参加作家選定で当局チェックが何重にも行われたことを踏まえれば、これだけ批評性のある作品群を展示することは中国でもかなり挑戦的な展示であったと思われる。
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